


2021年現在、コロナの影響を受け、リモートワークやZoom会議が急速に浸透しました。デジタル化が進んできたとはいえ、まだ日本の業務の多くは紙媒体がベースとなっています。会社員は今日も書類に手書きで記入し、判子を押しています。「このような煩わしい業務をもっと効率的に行うことができないのか?」という問題を解決しようと注目されているのが「SmartHR」です。
この記事では、クラウド人事労務ソフトである「SmartHR」の創業者、宮田昇始さんに焦点を当て起業のきっかけやサービスが生まれるまでのエピソードを紹介していきます。
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宮田さんは、「世の中の不条理と戦いたい」という気持ちをずっと持ち続けています。この気持ちがSmartHR誕生に繋がります。世の中の不条理と戦う思いを持ち始めるきっかけが学生時代にありました。
1984年に生まれ、熊本県出身の宮田昇始さんは山奥の家で育ちました。宮田さんは中高一貫の学校へ通い、寮生活を送っていました。しかし、そこでのルールが非常に厳しく理不尽なことが多くあったそうです。例えば、「中学生はテレビを見てはいけない」や「中学1年生はお風呂の椅子を使ってはいけない」等の縦社会ルールが多数ありました。
様々な理不尽なルールがある中、宮田さんはそれらを破ることを楽しんでいました。服従心より反発心の方が強かったようです。その反発心から学歴・職歴で決まってしまう世の中に疑問を覚え、学歴などに頼らず自分の力だけでも生きていけることを証明したいという思いを持っていました。学生時代の環境が影響を与えていたのです。
大学受験の際は、友人から願書を何枚かもらい適当に送付していたことや、就職活動でも友人に企業を選んでもらい面接を受けに行っていたなど破天荒な一面がありました。
IT企業に就職した宮田さんは、Webディレクターとして働き、2度の転職を経た後2013年に株式会社KUFUを設立しています。2015年にはSmartHRをスタートさせ、現在会社の柱となるサービスとして急成長しました。その後2017年に、株式会社KUFUの社名を株式会社SmartHRへ変更しています。
SmartHRは、企業の社会保険や雇用保険の手続きを1クリックのみで自動化するクラウドサービスです。従業員情報を入力しておくだけで様々な手続きに必要な書類を簡単に自動で作成でき、さらにそのままWeb上で役所に申請することが可能になるサービスです。これにより労務を担当している方の負担が大きく減ることでしょう。
2015年に運用を開始したSmartHRは、現在登録企業数20,000社を超え、今もなお拡大を続けています。
また株式会社ミック経済研究所が発表した労務管理クラウド市場調査においてSmartHRは、2018年、2019年の労務管理クラウド出荷社数部門および出荷金額部門で2年連続シェアNo.1を獲得しています。業務効率化の観点において、幅広い業界に注目されています。
20代で起業した宮田さんですが、学生時代から起業を志していた訳ではありませんでした。大学時代に流行していたmixiに見向きもせず、インターネットとは無縁だったことには驚きです。どのようにインターネットに興味を持ち、サービスを開発するまでに至ったのでしょうか。
無縁だったインターネットに宮田さんが興味を持つきっかけは、就職活動で内定をもらった企業でのインターンでした。偶然インターンで行ったネットメディアの企画を考える部門の仕事がとても面白く感じ、はじめてインターネットの力を実感し興味を持ちました。
インターンの経験がきっかけでインターネットに興味を持ち、SmartHRに繋がる第一歩となりました。
宮田さんに訪れた難病や失敗とはどのようなものだったのでしょうか。成功までのストーリーも併せてご紹介します。
難病を乗り越えて
大学卒業後、WEBディレクターとしてキャリアをスタートさせた宮田さんですが、自分と合う会社が見つからない状態が続いていました。転職を重ね、3社目の会社に在籍していた時です。「ハント症候群」という年間10万人に5人の確率で発症する難病に見舞われたのです。「ハント症候群」とは、顔面神経が麻痺して、突然顔が動かせなくなる病気です。顔面麻痺だけでなく、耳が聴こえない、味覚も感じない状態だったそうです。さらには歩くことも難しくなり、車椅子生活を送っていました。
完治するかわからない中、宮田さんは不安な日々を過ごしていました。しかし、闘病中に人生を考える時間ができ、自分と向き合ったそうです。自分と対話を重ね、「自分と合う会社が見つからないのであれば、自分で会社を作ればいいのでは?」という考えにたどり着きました。そして難病を乗り越えた後、2013年に共同創業者の内藤研介さんと起業しました。
難病を患った機に自分としっかり向き合ったことで、最適な選択ができたのです。不幸中の幸いと言える出来事です。
2021年12月、株式会社SmartHRの社長を退任することを自身のブログで発表しました。(宮田昇始のブログ https://blog.shojimiyata.com/)2022年1月からは現CTOの芹澤さんが引き継ぐことになりました。なぜ急成長をしているこのタイミングで社長を退任する決断に至ったのでしょうか?ここでは社長退任に至ったポイントを紹介します。
退任を考えたきっかけは、この1年で会社が大きくなるにつれて、自身が反比例するように会社へ貢献できていないと感じ始めたからです。また、「変化に適応し続けられる奴が一番強い」という持論があったからです。これまで難病や事業の失敗など様々な苦悩を経験してきましたが、その中でも役割や環境の変化にうまく適応してきたから今の成長があります。しかし、最近はその変化に適応できていないと感じる日々が続いていたそうです。このような思いから会社を成長させるための最善策は何かを考えた結果、次世代のリーダーへバトンタッチする決断に行き着いたのです。
社長を退任した後は、SmartHRの取締役として残り、新規事業に専念することを決めているそうです。今後SmartHR社から世の中を変える新たなサービスが生まれるかもしれません。
会社選びに失敗し、難病によって苦しめられ、事業に2度失敗し、多くの困難を経験してきたことがおわかりいただけたでしょうか。これだけ多くの失敗をできたのは行動を止めなかったからだと思います。宮田さんは失敗から多く学ぶことで成長してきました。この記事を読んだ方には失敗を恐れず、行動と挑戦を続けて欲しいと思います。
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この記事では、クラウド人事労務ソフトである「SmartHR」の創業者、宮田昇始さんに焦点を当て起業のきっかけやサービスが生まれるまでのエピソードを紹介していきます。 ~Write by だいち・ゆうゆ~